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静岡県人権啓発センター

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人権メッセージ集W 原田

ことばの持つ非人権性に気づかいを

株式会社静岡新聞社 常務取締役 原田 誠治

 つい最近起こった有名サッカー選手による少女暴行事件の報道をめぐって、編集局にこんな声が寄せられました。

 「新聞紙面での扱いが小さすぎる」「本人がその程度で反省するか」。そういう主旨でした。

 選手の試合中の写真を一枚つけて三段格。普通の扱いでした。本人が反省しているという話ばかりか、ほかにも理由があってのことでした。

 確かに子どもたちに夢を与え、憧れの対象になっている選手のハレンチです。心情としては許しがたい。

 でも、この種の事件の報道のむずかしさはなかなか分かってもらえません。いちいち説明するわけにもいきません。

 それは被害者である少女への影響のことです。

 事件が明るみになった時には、少女はどこの学校のどのクラスのだれかほとんど知られてしまいます。近所、いや町内会でさえ知られてしまいます。

 新聞紙面で匿名扱いしたところで、周辺では実名で報道されたのとほとんど変わらないのです。

 つまり、大きく報道すれば大きく報道するほど、一方で被害少女を痛めつけてしまうことになる。選手に制裁を加えるだけでは終わらないのです。

 そればかりではありません。この種の事件では報道する際に使うことばにも気づかいをしなければならないとつくづく思います。

 「いんこう」「わいせつ」「みだらな」…下卑なことばです。そんな見出しやことばが紙面におどれば被害少女は辱められ、二重三重に痛めつけられます。

 癒しがたい心の傷を負い、それが生涯にわたって暗くのしかかり、心的、精神的障害の形で人格まで痛めつけられてしまう。

 だから、私たちはできるだけそういう表現をしないようにし、使う場合でも繰り返さないように配慮しているのです。

 わいせつ教師−これも使いたくないことばです。多くの場合、その対極にはいたぶられ傷ついた被害少女がいるからです。

 教師の悪業に鉄槌を喰らわすことは同時に少女を傷つけてしまうのです。

 正義とは被害者の周辺に深く思いを致すやさしさなのです。

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